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本物の恋

本物の恋

その恋の物語は、まだ春にならぬ日の、夕方もとっぷり暮れた頃に始まった。
 
いつものように妻が駅まで迎えに来てくれる。その日、ありがとうと車に乗り込んだ途端に、妻はドアを開けて運転席から出て行ってしまった。何事かと助手席から覗いて見ると、妻は道端にしゃがみこんで何かを見ている。
車内に一人座っていてもなんとも間抜けな感じがして、私も妻の元に行ってみた。
 
両手を膝に置いて覗き込んで見ると、パサパサとちからない羽音が、下の方から聞こえている。
 
「なんですか」
「鳥が」
 
羽音の正体は手のひらぐらいの大きさの鳥で、力なく羽ばたいては地面の上を引きずられるように動いていた。
その羽ばたきは、見た目に小さな死を予感させるものだった。
 
「どうする?」
下から見上げるように振り返った妻が聞く。
 
「どうするったって。こういう場合は、自然にまかせるものだよ」
「ホントに?」
 
小さな脅迫状を突きつけられた私は、一瞬でこの世で一番困った人になった。
「うーん」
「死んじゃうよ?」
「うーん、うーん」
「ネコに食べられちゃうかしら」
「うーん、うーん、うーん」
 
小さな降参をした私は、まずはその鳥を捕まえることにした。
鳥の捕獲に関しては、子供の頃から米と木の棒と糸とザルで何度も試みたが、うまく行った試しがない。今回も、必死になった鳥が最後の力で羽ばたいて、私のあきらめの向こうに飛んで行ってくれることを願いながら両の手を差しだした。
 
鳥は、見かけは必死で逃げているのだが、意外にすんなりと私の左手に収まってしまった。
 
鳥の体温は凍えた私の手のひらよりずいぶんと暖かく、熱を握っている不思議を感じた。呼吸は早く、逃げないようにかつ呼吸ができるように、握力に集中が必要だった。心臓の鼓動は驚くほど早く、手のひらの中に存在する命をありありと感じて、私は小鳥の重さには不釣り合いな責任感をかかえてしまった。
 
予定外の獲物に軽く狼狽した私は、
「入れ物、入れ物」
と妻に命じた。
妻も、軽く狼狽した風で、車のトランクをがばりと開けて、積んであった不燃物の袋をガランガランいわせながらひっくり返して、私に手渡した。
 
駅前の夜を騒がせたこの捕獲劇は終了した。我々は小さな興奮と共に、ガラクタのガチャガチャ揺れる音を行進曲に、凱旋の家路に着いたのだった。
 
明るい部屋で、哀れな獲物をよく見てみると、あんまり見かけた姿ではない。
くちばしと足は綺麗なオレンジ色だが、全体的にはあんまりさえない感じの鳥であった。鳥としては華がない。あんまり愛情が湧いてこないのだ。一抹の不安が頭をよぎった。
 
「なんの鳥?」
中学生の息子が質問してくる。
「わからないな。見たことはないな。調べるか」
簡単な時代になったもので、すぐにムクドリだということがわかった。
 
ムクドリは、今わが町の夕暮れの空を大軍で騒がす害鳥であり、ヒッチコックの恐怖を実感させる恐怖の鳥である。道路や車に糞を落とし、我々の怒りを買っている憎っくき鳥である。「網で捕獲して食べるべし」などと毒づきの対象であった。
 
「うわー、ムクドリだった。どーしよう」
といっても後の祭りである。捨てるかと言ってみても、すでにそんな度胸はない。一度感じてしまった命の責任は、たとえ相手がムクドリであっても取るしかない。
「武士の情けじゃ」
と半ばやけくそで、息子に鳥の買い方の説明を始める父となった。
 
「鳥はな、体温が下がるとすぐ死んでしまうのだ。だから温めるのだ」
昔に自作した猫用のこたつを物置から引っ張り出し、私の書斎に置いた。周りに大きなビニール袋を切ってかぶせ、隙間をセロテープでチョコチョコとめただけの、ざっとした保温器をつくり中に鳥を置いた。
鳥はプルプルふるえているだけで、覗き込んでいる人間の親子の方を全然見ない。
 
「暗くして静かにするのだ」
バスタオルで回りを覆い、暗闇にする。
「ムクドリは何を食べるのか?」
これまた簡単な時代なので、冷蔵庫の中の野菜果物が、ちょっぽりづつ切り取られて鳥のこたつの中に置かれた。水や、おそらく止まり木になりそうな木片も入れられた。新聞紙も投入され、猫ごたつはあっという間ににぎやかな鳥かごになった。私の書斎には小さな秘密基地が出来上がっていった。
 
「助かる?」
「たぶんダメだろな」
覗く親子は悲観的な会話をしながら、少し楽しくなっていた。
「ネットを見たら、こういう動物は保護しちゃいけないんだって」
「そういうつまらぬことを言うな。つまらぬ人間になってしまうぞ」
 
私の書斎には仏壇も置いてある。鳥の回復を願って親子でお祈りをし、ムクドリは汚いからよく手を洗えと毒づいて、寝た。
 
翌朝、猫のこたつを覗くと、鳥はまだじっとしていた。立ったまま死んでもいないだろうと思いながら、触ろうとしてこたつに恐々手を入れると、ちょこちょこと逃げる。昨日よりは捕まえにくい。
コノウレシサハナンナノダロウ!
少し元気になったぞと親子で会話し、忙しい朝の家を出た。
 
その日は仕事中も鳥のことが頭からはなれなかった。帰宅して死んでいたらどうしよう。庭のどこにお墓を建ててやろう。普段似合わぬ消極的な心配ばかりしていた。あんなにさえない鳥なんて死んだっていいのだ、そう思おうとしていた。
 
やがていつも通りの夕方になり、いつも通り妻が迎えに来る。
「鳥は?」
「見てないよ。死んでいたらいやだもの」
 
それもそうだ鳥なんてねと話を合わせ、妻には内緒のそわそわを隠しながら家路についた。話をすれば鳥のことになってしまいそうだし、それもなんだか癪なのでその日は無口な帰路であった。
家に入り、気のないふりをしながら書斎に向かう。元気か、さえない鳥よ。俺のあげたご飯は食べたか?俺のあげた水はうまいか?
 
がらりと開けた引き戸の向こうの薄暗い部屋の明かりを灯す。とりよとりよと猫のこたつを覗いてみた。
むう。鳥がいない。俺の鳥がいないのだ。
隅っこで死んでいないか。ビニール袋をガサガサとしてみたが、気配がない。どこにいる、私のとりよ。まさか猫に食われたか。一日中考えていた悲惨な結果を脳内で瞬時に反芻した。
 
あたりを見回すが鳥の姿も音もせず、さてどうしたものかと考えながら書斎の机に鞄を置こうとしたとき、机の上の汚れに気がついた。だれだこんなところにお茶をこぼしたのは。こぼれたお茶には、ゴマのような緑の破片が沈んでいる。何気なしに、そのお茶に指を突っ込んだ瞬間、ある考えが浮かび、戦慄が背中を走った。
「これは、、、鳥の糞じゃないか!」
 
視線を目の前のPCモニタに移すと、その表面に白い鳥の糞が垂れている。電気スタンドの傘にも同様な惨状があった。
「うああー」と声にならない声が出てきて、お茶に、いや糞に突っ込んだ右手人差し指をティッシュでぬぐう。
本格的な狼狽の中で、部屋の点検をしていくと、様々な惨状が発見された。
カーテンレールを止まり木にしたようで、カーテンにも糞がついている。一番悲惨だったのは仏壇で、線香立ての灰で砂浴びをしたらしく、仏壇全体が灰神楽になっていた。
「たいへんだー、おーいむすこよー、きてくれー、タスケテー、あわわわ」
 
どうしたどうしたと息子が入ってくる。
奴が逃げた。部屋中で大暴れをしやがった。あの恩知らずめ。どこにも姿が見えない。どこから逃げやがった。あ、もしかして猫に食われたか。
混乱する父親を目にした息子は、気の毒がって、うんうんと話を聞いてくれた。一通り話し終わると可哀想な父親はようやく落ち着きを取り戻した。
 
とにかく鳥を探そうと、四つの目で部屋の中の大捜索がはじまった。私の頭の中は怒りでいっぱいである。あの害鳥め、裏切り者め、八つ裂きにしてくれようぞ!
 
「いた!いやがった!」
壁掛けの絵の裏に物音一つさせずに潜んでいた鳥と眼があった。
「コンニャロー」と手を伸ばした瞬間、鳥は部屋の中を元気に飛び始めた。鳥は飛ぶものだということを忘れていた。
小さいとはいえ、目の前で鳥に羽ばたかれると人間は恐怖を感じる。その姿は猛禽類かと勘違いするほど迫力があり、こちらの命の危機を感じさせる。怖い、ものすごく怖いのだ。そしてなにより線香くさい風が吹き付けてくるのだ。これはたまらぬ。
 
鳥の羽音よりも人間の悲鳴の方が大きく、一時は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
憎っくき鳥なれど、一時は本気でその命の行く末を案じた間柄だ。棒ではたき落とすのは憚られた。なんとか優しく捕まえたい。怪我なく元気なままで逃がしてあげたいのだ。
 
「窓を開けた方がいいんじゃないの」
と、随分冷静な息子が的確なアドバイスをくれる。この季節の夕暮れに窓を全開にしてさらにギャーギャー騒いでいるこの家は、大変なご近所迷惑であったろう。
 
私はバスタオルを手にして、投網よろしく空中にいる鳥を優しく捕まえようという、ものすごい難事に取り掛かっていた。この方法にはおそらく無理があるとすこし冷静になった瞬間、鳥は窓から暗闇の空へ飛んでいってしまった。
 
寒い部屋に、安堵と静寂が訪れた。
辛い掃除がはじまった。仏壇の灰は、八畳間半分に広がっていた。改めて、鳥の羽ばたきの力に驚く。
 
仏壇に飾ってあった花に、鳥がかじった跡が付いていた。そうか、お前は花を食べるのか。花は入れてあげなかったな。腹がへったのか。元気になってよかったな。食べられるよになってよかった、糞が出てよかった、飛べるようになってよかった、家に帰れてよかったな。
 
灰まみれの私の父母の遺影も、一緒に泣き笑いしているようであった。
 
その騒動以来、庭に鳥が飛んでくると、あいつかと眼を凝らすようになった。そんなことはあるわけがないのに。
群れからはぐれた鳥一匹が生き残れる確率はどうだか知らん。そんなことはどうでもいいのだ。
 
恋愛は、ある種の症状である。自分がひどい目にあわされても相手の幸せを願う、尋常でない精神状態である。行動原理は自分の作り出した妄想となり、いとしいあの人の幻が現れるのである。ひどく寂しくひどく嬉しいアンビバレンツな幸福である。幸福であるがゆえに、何度も挑戦してしまう。
 
初恋は、成就しないという点において、人生で初めて味わう悲惨な幸福である。二度と味わうことのないという点において、最も甘美な幸福である。
 
鳥にたいしては初恋であった。初恋だけが本物の恋である。
 
 

 

2017-07-28 09:54:32

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